環境エネルギー政策研究所(ISEP)インターンが、全国ご当地エネルギー協会会員団体にインタビューをおこなうご当地インタビュープロジェクト。第4回は、神奈川県小田原市を拠点にエネルギーの地産地消を進める志澤昌彦さんと土井悠史さんにオンラインでお話をうかがいました。
ご当地インタビュープロジェクトについて
ISEPのインターンが、全国ご当地エネルギー協会会員団体にインタビューをおこない、必ずしも一般的には知られていないご当地エネルギーの魅力を伝えるプロジェクトです。
#4-1 湘南電力&ほうとくエネルギー
今回インタビューしたのは…
志澤 昌彦(しざわ まさひこ)さん
株式会社ニッショー代表取締役/ほうとくエネルギー株式会社取締役副社長兼COO/湘南電力株式会社取締役
1966年、神奈川県生まれ。建設会社勤務を経て郷里・小田原に帰り、不動産会社を経営。2011年、3.11を契機に、環境省の「地域主導型再生可能エネルギー事業化検討業務」の全国7都市のひとつに小田原市が選ばれ、「小田原再生可能エネルギー事業化検討協議会」が発足、コーディネーターを務める。協議会での検討を受け、2012年に「ほうとくエネルギー株式会社」を設立。取締役副社長として地域が主体となった再生可能エネルギー事業を手掛ける。さらに、地域新電力である湘南電力株式会社を地域資本化し、再生可能エネルギーの地産地消を実現した。子ども達の将来のため、城下町小田原において安心安全なエネルギーの普及に奔走。自らも太陽光発電生活を実践している。
土井 悠史(どい ゆうし)さん
湘南電力株式会社 営業企画部係長
1993年、神奈川県生まれ。大学卒業後に鉄道グループ会社に入社し、東北信越地方のエキナカ飲料の小売マーケティング事業に携わる。当時フォローしていた地元のFacebookページで再生可能エネルギー(=再エネ)の地産地消事業の報道をみて「変わる地元の力になりたい」と2018年に草創期の湘南電力株式会社に参画。自治体・法人向けの電力営業のほか、ほうとくエネルギー株式会社の再エネ)事業にも携わる。2020年、自治体との協業による地域内経済循環モデル事業「湘南のでんき小田原市応援プランこども食堂応援コース」を事業化。600件超の顧客を獲得し、TV、ラジオ等各メディアから注目を集め、湘南電力の代表的な事業となる。企業ブランディングを担当しながら出張授業や取材対応など、広報担当として自社の情報発信にも取り組む。
37社の地元企業からの出資で生まれたほうとくエネルギー
安心安全なエネルギーを自分達の手でつくることができないかなあってことを、地元の企業、そして市民も思っていました。
ちょうどその時に、当時の市長の加藤さん(加藤憲一氏、2008~2020年)も再エネについてかなり前向きだったため、小田原市に旗振りをしてもらった結果、環境省の「再生可能エネルギー地域推進体制構築支援事業」の全国7都市のひとつに選ばれました。同じ年に事業化検討協議会も立ち上がり、1年かけていろんな事業を検討したんです。結局、小田原は水も風もポテンシャルがなくて、消去法で「小田原には太陽しかない」と。その検討結果をふまえて太陽光発電を主な事業とする『ほうとくエネルギー』を設立した、というのが経緯です。
それでも、私たちはコンセプトとして「みんなで再生可能エネルギーのプロジェクトに参加していく」ことを掲げていたので、37社もの企業から出資していただきました。しかも、それまでの地場の人的ネットワークを駆使した結果、電話1本で出資を決めてくださった方もいました。
趣旨に賛同をしていただき、事業計画もなにもない中でお金を出してもらったんですよ。それで、5,800万円もの資本金が集まり、いよいよ事業がスタートしました。
小田原メガソーラー市民発電(写真提供:ほうとくエネルギー)
小田原の企業で横のつながりができたきっかけ
2008年に、小田原駅前の市所有地で再開発の話が持ち上がったんですよ。その土地に超高層のビルを建てるっていう計画を小田原市が立ち上げ、しかもそれをファンド会社に依頼するという話になっていました。
それに対して地元企業がものすごく反対したんですよ。小田原でなぜ、横浜とか東京と同じようなビルをつくるのか、しかも小田原の玄関口の景観を壊してどうするんだと。それまで地元企業は封建的で、排他的で、あまり交流がなかったのですが、共通の敵を見出すと団結するんですよ、小田原って(笑)。
昔の小田原は箱根のお膝元で、何もしなくても商売が成り立つ裕福な地域だったんですよね。だから、「隣のお店はライバル」でした。
しかし、時代の流れとともに「自分のことだけでは、商売が回っていかないぞ」ということに、世代交代した経営者たちが気づきはじめ、少しずつ異業種・同業種がつながりを持ち始めました。それはものすごく大きかったですね。
こうして事前に顔が見える関係があり、まちづくり等も始まっていたので、3.11ショックが起きたときも一気に動くことができた、その結果が「ほうとくエネルギー」だったのかなと思います。
その帰りがけ、神奈川県の公共残土の受け入れ地(整地された広大な土地)があったことを知り、山林の所有者の方と話すうちにメガソーラーの事業化が実現しました。ほうとくエネルギーの最初の事業はこのメガソーラーと、小田原市の公共施設の屋根貸し太陽光発電を組み合わせたものです。
これらの事業では、環境エネルギー政策研究所(ISEP)さんや自然エネルギー市民ファンドさんと連携して、市民ファンドを1億円募集しました。それがなんと3ヶ月半で集まったんです!衝撃的でしたね。ファンドによる資金調達ははじめてだったので、内心ヒヤヒヤしていましたから。これも再エネの事業に参加したいという方がとても多かったということのあらわれなのでしょう。
このような流れで最初の事業を実現させて、その後、小田原市内外で太陽光発電所を徐々に拡大させていく中で、湘南電力との取り組みにつながっていきました。
株主・ファンド出資者と小田原メガソーラー市民発電竣工式にて(写真提供:ほうとくエネルギー)
地元でつくられた電気を地元に提供
一方で、2014年6月、電力の小売全面自由化を2016年から開始する改正電気事業法が国会で成立したことをきっかけに、平塚にあるサッカークラブ「湘南ベルマーレ」がエナリス社と協働で立ち上げた新電力(電力小売事業者)が湘南電力です。もともと湘南電力は平塚を拠点に神奈川県内の需要家に電力を供給する新電力だったのですが、2017年12月、ほうとくエネルギーの設立・運営にかかわってきた小田原の企業たちがエナリス社の保有する株式持ち分を取得することとなり、湘南電力は拠点を小田原に移しました。
これによって、ほうとくエネルギーがつくった電力を湘南電力が調達し、湘南電力のお客様に提供することが可能となり、経済的な価値も含めた電力の地産地消が実現できました。なので、関係としては、ほうとくエネルギーは再エネ発電事業者として、湘南電力は小売電気事業者として、それぞれが役割を担いながら地元でつくった電気を地元で使う仕組みを運営しているということになります。
実は、地元でつくった電力を自分たちで買って使いたいというニーズは当時からものすごく高かったんです。一方で、ほうとくエネルギーとしても、FIT(=固定価格買取制度)の買取価格がどんどん下がっていたこともあって、発電事業だけでなく、電力小売事業も展開するということは決まっていました。
自分たちで小売会社を立ち上げる試算をした結果、ほうとくエネルギー以上の資本金が必要になるということがわかり、自力立ち上げは断念しました。
それでも模索を続けて、新電力の大手やスタートアップ企業など、いろいろとヒアリングする中で、電力需給管理事業をおこなうエナリスの方から湘南電力の話が出て、渡りに船ということで資本参加しました。当時、エナリスも湘南電力をより地域に根付かせる方法を模索していたので、本当に良いタイミングでしたね。偶然が重なってここまで来たという感じです。
通常、発注側と受注側では自分の利益を確保するよう交渉しますが、ほうとくエネルギーってそういうのじゃないんですよね。「地元でお金を回そう」っていう意識だから、発注側が予算を見せて、値段の範囲内でできるかどうかを聞きます。発注側がものすごく叩いてコストを安くしても地域に回っていかないので。
また、地代の決め方もちょっと特殊で、変動賃料制にしています。土地所有者にとって地代は高ければいいですが、それではほうとくエネルギーの事業が成り立ちません。だから発電量に応じて賃料も変動させています。最低限の賃料を決め、発電量が多ければそれに応じて賃料も上げるよ、という契約にしています。だから天気が良い日はお互いよかったねって。
すごく面白いですね、仕事のやり方としては。このように地域のお金を回しています。
楽勝じゃなかった地域電力会社の立ち上げ
でも、実際に事業採算を回したら、投資額が多額で、リターンが低いことが分かりました。再エネ事業は長期投資で資金を回収するビジネスモデルなんですね。また、地域柄、地震や噴火があったりした時には発電所が止まって、会社自体が潰れちゃう可能性があるとすごく不安に感じました。検討を進めるうちに、なかなか事業化するのが難しいということが見えてきました。
そこで、安易な考えなのですが、資本金をたくさん集めて、DSCR(債務返済能力)を高めて、リスク対応しようと。株主には配当はもちろん、もしかして資本金自体も返って来ない可能性もあることを説明し、了承してもらいました。資本金を保険的に活用しようと考えたのです。
もうひとつの対策が、スケールメリットを出すために、大規模発電所を1ヵ所もつということです。これは先ほど話した公共残土の受け入れ地でメガソーラー事業ができたので、うまくいきました。
言うのは簡単なんですけど、実際に事業に落としこむと、かなり大変だったといったところですね。この時は、同じ環境省の「地域主導型再生可能エネルギー事業化検討業務」に採択をされていた、しずおか未来エネルギーの服部さんとかとよく電話しました。「どうする? どうする?」って言ってお互いに(笑)
いろんな苦労をした中でやっと「ほうとくエネルギー」が誕生しました。立ち上げ時は苦労しましたが、事業計画が決まったそのあとのスピードは早かったです。市民から1円でもお金を集めたら責任があります。市民にきっちりと返済しないと、日本の再エネ普及に向けた市民ファンド自体の信用にかかわってきますからね。それはものすごく重圧でした。
日本の電力王といわれた松永安左エ門の茶室 「松永記念館」(小田原)にて(写真提供:志澤さん)
参考情報
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