今回は、日本の風力発電研究の第一人者で、足利工業大学学長の牛山泉さんのインタビューです。牛山さんは、電源としての風車にまったく光が当たっていなかった1970年代から一貫して風車の研究と普及活動に努めてきました。そして、栃木県の足利工業大学に日本ではじめて「自然エネルギー・環境学系」という自然エネルギーを専門とするコースを設立し、世界中から自然エネルギーに関心の高い学生を受け入れるなど、先進的な取り組みを続けてきました。現在も、子ども向けの出前の実験授業や、途上国の無電化村落で自然エネルギーを活用した支援活動を行うなど、精力的に活動している牛山先生に、可能性と同時に多くの課題も指摘される風力発電について話を伺いました。(インタビュー:高橋真樹)

牛山泉・足利工業大学学長(写真:高橋真樹)
牛山泉・足利工業大学学長(写真:高橋真樹)

風力発電で日本の電力をまかなえる

風力発電をはじめ、「自然エネルギーは国の主要な電源にはならない」という意見がありますが、私はそうは思いません。十分できるのです。最新のデータは2011年に環境省が発表したものですが、日本の自然エネルギーのポテンシャルは、原発2,116基分にも相当するとされています。そのうちもっとも大きなポテンシャルがあるのは風力、特に洋上風力です。

では、なぜ自然エネルギーの導入が進まないのか、最大の問題は、日本の送電網の弱さです。風力のポテンシャルがきわめて高く、風車を設置できる場所も多い北海道では、発電した電力を送り出す電力網がなかったり、あっても容量不足で接続できないのが実情です。

また、日本では各地域の電力会社が独占的に電力供給をしていて、電力会社間の電力のやりとりがないことも問題です。これでは北海道から、電力需要の大きい本州に電力を送れないので、北海道の風力ポテンシャルを活かせないのです。そこで、風車の適地に送電網を設置したり、電力会社間の連系線の容量を大きくすることで、各地の電力をカバーできることになります。

風車を増やす政策をすすめるべき

風車をめぐる政策にも問題があります。2013年7月に施行された固定価格買取制度(FIT)によって、短期間で設置でき、系統への影響が限定的な太陽光の設備は急速に増加しました。しかし風力発電は全く増えていません。風車には厳しい環境アセスメントが課せられていて、申請から認可が下りるまで3年もかかってしまいます。

しかも、実際には書類審査などにかかる時間が大半です。これは大きな問題なので、現在は経済産業省が環境省の協力を得て、風力と地熱について環境アセスメントの迅速化を進める動きが出ています、また、事前に適地のゾーニングをしていこうという動きがあります。

ゾーニングというのは環境省が音頭を取って、事前に風車や地熱発電所を建てることのできるエリアを選定して、事業者に提示するというもので、その委員会もはじまったところです。

一方、経産省の方でも、風力発電適地の多い北海道西部の沿岸部に、国の資金に民間も半分出資して送電網(系統)を新設する事業を進めています。これまで北海道は風力発電のポテンシャルは高いのに、それだけの電気を流せる系統がないため、風車を建てられないとされてきました。現在、動き出しているのは2系統で、1つは丸紅やSBエネジーなどが関わり、もう1つは国内最大の風力発電事業者であるユーラスエナジー・ホールディングスが入るものです。

もちろん、これまでは風力を不安定電源として歓迎していなかった北海道電力も協力することになっています。これは政府が自然エネルギーの積極的な導入を支援しようとするもので、大変力強い展開ではないかと思います。それでも、本当に国の基幹電源にしていくためには、かける金額が一桁以上少ないと感じていますが。

エネルギーをめぐる戦争をなくした「デンマルク国の話」

かつての多くの戦争はエネルギーをめぐって争われました。現在、もめている尖閣諸島の話も、あの島自体に価値があるというよりも、海底の資源の所有権をめぐっての争いだと考えられます。しかし国内にある自然エネルギーをもっともっと活かすことで、こうした争いを過去のものにしていけるはずです。

今から103年前、内村鑑三は「デンマルク国の話」という講演をしています。その内容は、1860年代のプロシャとの戦争に敗れた後、国土の三分の一の最も豊かな部分を70万人の住民ごと奪われてしまという絶望的な状況から、現在の豊かな高福祉国家の基礎を築いたダルガス父子の植林活動について述べたものなのですが、これをまとめた本の末尾の部分に、デンマーク国内には「天然の無限的生産力」があり、「外に拡がらんとするより内を開発すべきである。」とあります。

この講演がなされた1911年は、日本が日清、日露の戦争に勝って、ますます富国強兵路線を強化しようとしていたときですから、それに待ったをかける意味もありました。

その後、20世紀の2回の世界大戦は、いずれもエネルギー資源をめぐる争いでした。日本は、資源を外に求めてアメリカに石油を止められ戦争を引き起こしました。日本の富国強兵路線は1945年に敗戦を迎えたわけです。戦後しばらくの間は、多くの小学校の国語の教科書に「デンマルク国の話」の小学生版が採用されていますが、「もはや戦後ではない」という掛け声と共に、日本はデンマーク・モデルを捨て、アメリカの浪費型の社会モデルを取り入れました。

そして、食糧60%、エネルギー96%と対外依存度は異常なほど高くなっています。しかし、アメリカ・モデルの輸入化石燃料と原子力発電に立脚する経済大国路線も、2011年3月の福島原発の事故を以って敗戦を迎えたのです。

日本が、資源大国であるアメリカの浪費型モデルを入れてうまくいくはずがありません。今こそ「がんばろう日本」ではなく「考え直そう日本」です。デンマークの例や内村の指摘を取り入れるべきだと思っています。

日本にできることは、いくらでもある

このところ全国で洋上風力発電の実証実験がスタートしています。あまり知られていませんが、日本の浮体式風力発電の技術はすでに世界をリードしています。この技術を蓄積し、世界に輸出できる産業にしていくこともできます。再エネの分野で、世界の地熱発電プラントの7割が日本製であるように、日本はいくらでも優れた再エネ機器をつくり、設置することができるのです。

最大の問題は、政府の長期展望のない近視眼的なエネルギー政策です。韓国はグリーンエネルギー立国を標榜し、きちんとしたロードマップを描いています。日本も再エネを重視し、いつまでにどれだけの再エネ導入を図る、これを支える再エネ産業を構築する、という明確な方針を決めなければなりません。これがはっきりすれば、企業は再エネ産業の構築に投資するはずです。これまではずるずるとビジョンを示さないまま、原発のような「トイレなきマンション」を作り続け、放射性廃棄物を出し続けてきたのです。これを転換するために、国が本気で再エネの旗振り役をしていかなければなりません。

政府が動くためには、最終的には「国民が何を望むか」ということなのだと思います。日本でも、国民の7割以上が原発はもうやめてほしいと思っています。でもドイツ人と違って声を上げる人がまだ少ないのが実情です。そこを変えていく必要があります。

とはいえ、原発事故があって以降、これまでにないような注目が集まっていることも事実です。私は長年風車に関わってきましたが、これほど経産省がまじめに取り組もうとしていること自体が驚きです(笑)。確実に時代は自然エネルギーの利用に向けて変化してきていると感じています。

牛山泉(うしやまいずみ)

工学博士。2008年より足利工業大学学長。1970年代から一貫して風力発電の研究開発に携わっている。WREC国際再生エネルギー会議パイオニア賞および功労賞、日本機械学会畠山賞、文部科学大臣賞などを受賞。

(取材・記事:高橋真樹)

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